ららばい。

色々な雑多日記。

劇場版 遊☆戯☆王~THE DARK SIDE OF DIMENTIONS~ 感想③

劇場版既に4回目を見ました・・・

見れば見る程新たな発見があったりして楽しいです。

ということで、少しお休みしていたキャラ語り

今回はある意味でのこの作品の主役とも言える海馬瀬人編。

この人のこと、語るのは意外と迷う・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば、私の中で海馬というキャラは己自身が成長するにつれ、その見方がどんどん変わるキャラでした。

 

東映アニメ版~原作ペガサス編(自分が小学生~中学生だったころ)までは単純に主人公(遊戯たち)に立ちふさがるいけ好かないライバルキャラというポジだったんですよね。

で、DMアニメでのオリジナル展開における台詞の応酬のインパクトの大きさからかある意味シリアスなギャグキャラに近い位置になったりもしてまあ、今でいうネタキャラ扱いをしている時期もありました。(これがちょうど高校の頃)

 

そして、成人して社会人になった今、彼を劇場版で見た時もうそういうポジショニングというものを超越した海馬社長という唯一無二の存在になったのだなあとある意味で遠い目をせざるを得なかったです。

 

劇場版の情報がちらほら出た時、まず12~3年前くらいに出た公式ムック本「真理の福音」という本で高橋先生自身が「ライバルを失った海馬瀬人は存在できなくなるでしょう」と語っていたのを思い出しました。

 

このコメントを見たときは「そんなに社長の中で遊戯は大きな存在なのか」と少々驚いたのですが、この劇場版を見てその存在の大きさを見せつけられました。

 

アニメと違い、原作の海馬はバトルシティ編で子供のころの夢である世界海馬ランド計画を成就するために遊戯達と別れることになります。

しかし、彼がその夢を成し遂げいている間に終生のライバル・闇遊戯はアテムという名を取り戻して冥界へと旅立っていたんですよね。

確かに最終巻で砂漠の中でモクバと一緒に仁王立ちしているワンカットはありますが彼は遊戯とアテムの闘いの儀を見ることなく彼との別れをせざるをえなかった。

それに納得がいかなかったから知力・財力のすべてをかけて再び会うことを夢見ていたのだなあと。

(ただ、巻き込まれた遊戯筆頭の大勢の人々にとってはたまったものではないけれど・・・:苦笑)

 

映画の序盤記憶をもとにしたAIを作ってデュエルしたとしても、それは「彼」ではないことは海馬自身とっくのとうに分かっている。

だからこそ、「こんなものに何の意味がある!」というあのセリフにつながっているのだと思うとね。

最初はKC社員の皆様に対する仕打ちに思わず涙しかけましたが、2回3回見ると色々社長の心情も分かってくるなあと思いました。

 

藍神とのデュエルの時も「やつを葬らなければいけなかったのは俺自身だった」という津田さんの何か胸の奥底を掻き毟られるな台詞の言い方がこう、

闘いの儀に立ち会えなかった海馬の心情を感じさせて、スタジアムでの演説以上に実は好きなシーンです。

伝説の地面からのドローも含めてね!あれは本当にびっくりしましたよ・・・

ただ、作画監督の加々美さんが渾身を込めて描いた作画は原画展でみましたが圧巻でした。

 

あとこのデュエルでも遊戯でのデュエルでもですが今回の海馬のセリフ。

原作の表マリクをオマージュした台詞が多かったような。

今回の名言、「モンスターではない、神だ!」や遊戯に対する

「いくぞ、器の遊戯」とかバトルシティ編を彷彿とさせました。

(マリクが1シーンでしか出られなかったから

ある意味それを補うためのセリフ…?)

 

場面は変わり、スタジアムでの遊戯とのデュエル。もう一人の遊戯とデュエルするために遊戯を闘いの場へ強制的に引きずり出し、遊戯が伝えようとしていた言葉を「問答無用!」の一言で切り捨てながらも遊戯とのデュエルに応じる姿は何とも矛盾じみている姿ではありましたがこの矛盾がどこか今回のデュエルの結果を暗に意味していたのかなあと今となっては思います。

 

「器の」とか「鞭を振り下ろさねばならぬ」とか一方的に遊戯のことを低く見ているような発言をしながらも、遊戯の攻撃を見せつけられるところは遊戯ファンとしては「甘く見ているからこうなるんですよ」と言いたくなったり。

 

そしてガンドラXとディープアイズの攻撃相殺のあと、遊戯の口から語られる真実。

真実をつきつけられた海馬の何とも言えない苦虫をつぶした表情がものすごくインパクトがありました。

ある意味心の中で泣きそうになっているのを止めているようなそんな表情。

今回、あまり感情を表に出さない海馬が唯一揺れ動いた表情を魅せたシーンだったと今になっては思います。

そして、感情的になりながら「認めん!」と遊戯の前につきつけた「死者蘇生」そして、それに対する遊戯の「ファイナルギアス」による否定。

ここの応酬はいつみても、どちらの心にも寄り添って見てしまいます。

 

デュエルについては私自身詳しくないので何とも言えないのですが、最後のブラックマジシャンの攻撃を受ける姿とその後の薄い笑みが何かを悟った顔のような気がしてなりませんでした。

 

その後のモンスター化した藍神との遊戯とのタッグデュエル。

まさかの社長からのタッグ提案ということにびっくり。

「まだいけるか・・・」と遊戯に聞く社長はもう彼のことを王を降臨させるための器ではなく立派な「誇り高き決闘者」の一人として認めたのだなあと感無量でした。

ただ、この人の性格上タッグデュエルはまあ苦手だよなあと(苦笑)

パンデミックドラゴンの効果で逆にピンチを招いてしまったり。

でも、そのあとちゃんとクリスタルアバターを使って己のライフを削って遊戯をアシストした姿には成長した姿が垣間見えてよかったです。

この後の消滅間際に「遊戯・・・やつを、やつを呼べ」という最後の最後に遊戯を見る演出もかっこよかった。

孤高の決闘者という表現がまさにピッタリでした。

 

アテムがモンスター藍神を倒した後の憑き物が落ちたような穏やかな表情・口調もまた不思議だったなあ。

彼があれだけ穏やかな口調で遊戯達に話しかけるのって凄く新鮮でした。そして遊戯の問いに関して「そいつはどうかな」と答える彼の姿もまた、新鮮でした。

 

でもこの時に「遊戯、貴様もまた誇り高き決闘者だった…さらばだ」って言ったとき、初見にも関わらず何かあるなとうすうす感じてはいました。

 

そして第一エンドロールのあと、モクバにすべてを任せ、彼の行った先は彼の終生のライバルがいる冥界次元―そしてラスト―対峙する、二人の姿。

 

正直、初見時は衝撃が走りました。

初回は友人と一緒に見たのですが友人は「彼は、あのまま死んでしまったのではないか」と思ったみたいです。

でも、私は何故か「彼は生きて帰ってくる。というか帰ってこなければだめだ」と強く思いました。

私がモクバに感情移入していたというのもあるかもしれません。

でも、海馬は死者の世界よりも生者の世界でより映える存在であると思っているので…

生きて帰ってきてまた超人的な才能を生者の世界で発揮してほしいなあと思っています。

(連載時、私自身海馬=生者(未来)の象徴、闇遊戯=死者(過去)の象徴と考えている節があったかなあと。)